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願いを追うこと

 今にして思えば、それは璃月で言うところの仙人のような青年だった。濡れ羽色の髪と、特筆する必要もないような茶色の目。稲妻人にしては虹彩の色が薄いくらいで、特段美人というわけでもなければ、逆に顔の整っていないような風でもない。普通、という言葉が最も似合うだろう。
 蛍は――やはり、誰が兄を見ているかわからないのだし、信条に従ってとりあえず情報収集に努めることにする。
 千手百目神像前での出来事によりお尋ね者扱いを受け、一時は稲妻城周辺になかなか滞在することができなくなったものの、雷神とファデュイのあれそれを解決したことにより、現在は安心して冒険を続けられる。少し前であれば、うかつに声などかけようものなら捕まりかねない状況だったが、今は今、昔は昔、というやつである。
「やあ、稲妻にようこそ、旅人さん。観光かい?通りのお店はどれも異国の旅人さんにとっては珍しいだろう。是非楽しんでくれ」
 柔和な雰囲気をさっぱり崩さず、男は柔らかく微笑んで見せた。垂れ下がった眉が人のよさを物語っている。
「あなたは……」
「ああ、俺のことか?元々は流れのしがない剣士だったものだよ。君たち風に言い換えれば、冒険者……になるのだろうか。まあ、剣の腕を磨くために武者修行をしていただけの男だ。名乗るほどの名前もない」
「名乗る名前がないって、そしたらなんて呼べばいいんだ?」
「ああ、それもそうか。じゃあ、権兵衛とでも」
 名乗る名前がないといったわりに仰々しい響きに聞こえる。この系統の名前は、何となく各奉行の上の地位にいる人間が名乗っていた印象があるが、と蛍は目を瞬かせた。パイモンもふよふよ浮きながら、なんだか偉そうな名前だな、と失礼なことを言っていた。そっと小突いて諫めたが、例によって大きい声で文句を言われてしまった。
 何かがおかしかったらしい青年はくすくすと笑って、仲が良いのだね、と眩しいものを見るように言った。
「稲妻では、『名無しの権兵衛』というものがあってね。名前がない人間のことを『権兵衛』という」
「そうなんだ。……そんなに名乗りたくないの?」
「そうだぞ!名前がないって、めちゃくちゃ不便じゃないか?店の予約をするときとか、宿に泊まる時とか、どうするんだ?」
「いやいや、名乗らないだけで戸籍上の名前くらいはある。もっとも、使う機会などめったにないけれど」
 ははは、と困ったように誤魔化して、青年は、それで、と蛍の話を促す。
 不思議な男である。そこに在るようで在らず、空虚なようでその実非常に豊かな人間性を有しているように見える。その独特な雰囲気はどうにもなれない。
 余分な思考だな、とゆっくりと首を振って、兄を見なかったか、と口に出す。青年は茶の目を不思議そうに開いた。よく見ると目が大きく、普通にしている分には目立たないものの、こうしてみるとやや童顔に見える。
「私とそっくりな容姿をしているのだけれど」
「君と?うーん、どうかな。そんな目立つ人、流石に見たら忘れないだろうし……申し訳ない、俺には心当たりがない」
 うう、となぜかパイモンの落胆した声が聞こえて、思わず苦笑してしまう。落胆するべきは蛍であって、パイモンではないだろうに。
 ほほえましく見えたらしく、青年もまた穏やかに笑みを浮かべている。
「ああ、ところで」
 風の噂なのだけれどね、と青年は穏やかさを保ったまま口を開く。これはお手伝いフラグだろうか。一応今日は冒険者協会からの依頼は一通り終わっているし、フリーといえばフリーである。しかし、それはそれ、これはこれ、だ。実をいうと、別の調査のお手伝いも引き受けている最中で、できれば受けたくないなあ、と眉間にしわが寄る。
「将軍様が『目狩り令』を撤廃したのは君たちのおかげと聞いたのだけれど、本当?」
「それは」
「へへーん、そうだぞ!旅人が雷電将軍を倒して、目狩り令を撤廃させたんだ!な、旅人!」
「パイモン……」
 それを大声で言うのはいかがなものか。まあ、千手百目神像の前での出来事でもあったのだし、稲妻城下町の人間もなんとなく察してはいるのかもしれないが。
 蛍の生死むなしく、パイモンは誇らしげに小さな胸を張っている。どうだすごいだろう、と小さなことを自慢して回る子供のようだ。
「いろんな人に助けてもらったおかげ」
「なるほど、バランスの取れたコンビだな」
 今のどこを見てそう思ったのか。胡乱気な視線を向けてみれば、青年は心底楽しそうな笑みを浮かべていた。茶色の目には変わりはない。ただ、その調子のまま、青年はゆっくりを口を開いた。
 ――その物語に関わったのなら、神の目を必要としなくなった者の物語も知るべきだろう。
 一瞬の無音。気のせいだ。周囲は変わらずにぎやかで、城下町らしい活気に満ち溢れている。時刻は丁度午後に入ったころで、まだ遠い夜に向かって活気は衰える様子もない。
 こわばっていたらしい表情を何とかほぐして、蛍は、どうして、と純粋な疑問でこたえた。けれど、興味はある。木漏日茶屋にもいた、自ら神の目を手放した人間。彼は、多分、その願いを手放すことが最善だと感じ、そうして穏やかな心を手に入れたケースだろう。
 まだ願いを手にしてはいない、という八重神子の言葉が脳裏によぎる。兄を探したいという願いは、多分願いではなく義務にカテゴライズされているのだろう。
「俺も実は元々神の目の保有者だったんだ。水元素を使って、それはあちこち駆け回ったものだ」
 まあ、氷元素の方が海を渡れるから、そっちの方がいいなあなんて思ったこともあったけれど、と青年は照れくさそうに笑った。
「お前も神の目を持ってたんだな。ってことは、お前も『目狩り令』の……!」
「いや、多分違うよ。そうでしょう?」
「そちらの旅人さんは察しがいいな。うん、その通り。俺は『目狩り令』で神の目を奪われる前に、とっくに手放していたんだ」
 まるで子供のころの思い出を語るかのように青年は言った。
 神里綾華に言われて神の目を奪われた人々の元を回ったことを思い出す。神の目とは願いの象徴である、という言葉がぐるりと脳内で回った。神の目を奪われたものは皆、願いに関する記憶や熱量を丸ごと失い、苦しんでいた。願いそのものを奪われてしまっていたと言って差し支えない。
 けれど、と蛍は金色の目で平凡な青年を見た。穏やかな目。見ようによっては達観しているともいえる佇まい。
「まあ、老婆心のようなものだ。昔話を聞くみたいに、適当に聞いてくれればいい」
 僅かな郷愁が彼の顔に困り笑いを作らせる。返らない過去を思うようでいて、戻らないことこそが尊いとでもいうように、稲妻の青年は言の葉を紡ぐ。
「俺は剣の腕を磨く旅に出ていた。ま、稲妻から出たことはないから、井の中の蛙大海を知らずというやつでもあるけれど。俺の家は、ちょっと野盗に襲われて貧乏になってしまった家だった。幸いなことに農家だったから、まあ食い扶持には困らなかったんだけど……税とか色々あるからなあ。だから、こう思ったんだ。あの武士たちみたいに強ければ、家を守れたはずなのに……ってね。幸か不幸か、俺には剣の心得があった。だから、剣の腕にこだわった。周囲の農家にも助けられて、ようやく家計が建て直せた頃、旅の決心をした。その時に神の目を授かったんだ」
「家が野盗に……大変だったな……」
 過ぎたことだ、と青年は言う。両親の憔悴ぶりの方がすごくて、子供だった自分は、実のところ意外と冷静だったらしい。
 それは少しわかるかもしれない。人間、自分よりもパニックになった人間を見るとかえって冷静になるものだ。
「まあ、ともかく。俺はそのまま旅に出て、剣の腕を磨きつつ、色々なものを見た。野盗の生活もね」
「野盗の?」
「そう。俺は野盗が憎かったから、見つけては成敗してやろうと息巻いていたんだ。どうしようもないクソ野郎もいたが、そうでないものもいた。君も、見たことがあるのではないかな」
 例えば。
 璃月の仙人によって琥珀に閉じ込められた兄弟のような。
「あるって顔だな」
「まあ……」
 生活が困窮し、他に手段がなくなってしまったもの。栄えた都市部であれば手を差し伸べてくれるものもいるかもしれないが、田舎の方になるとそうもいかない。
 だから、まあ、野盗が全て悪かといえばそう断言はできないだろう。
「それを見て、俺は冷めてしまった。神の目を授かった理由が剣の腕だったのか憎しみだったのかは知らないが、そういうものを見てしまったから、まあいっかってなってしまったんだ」
 へらり、と青年は気の抜けた笑みを浮かべた。
「『まあいっかな』!?そんな簡単な話か、それ!?」
 驚愕に満ちたパイモンの声が耳元で鳴って、思わず耳をふさぐ。きーん、という音が聞こえてきそうだ。
 とはいえ、その叫び声で思考が平静を取り戻していた。
 目の前には変わらず穏やかな青年の姿がある。苦痛に満ちているわけでも、悩んでいるわけでも、虚脱感に襲われている様子もない。
 ただ、一つを願って、答えを得て、満足そうに目を細める男の姿があるだけだ。
 それを、蛍はまだきちんと理解はできない。黙るしかない。この状態で何かを言うのは、不誠実というやつだろう。
「うん、まあ、そのうちわかることだ。けれど、知っているのと知らないのとでは、大違いだろ?お節介な男の無駄話だと思って、ふんわり覚えてくれていれば幸いだ」
 引き留めて悪かったなあ、とにこにこと笑みを浮かべて青年は口を閉じた。話は終わりらしい。
 小さく礼を言って背を向ける。と、不意に、花を揺らす穏やかな風のような声が通り抜ける。
「言い忘れていた。旅人さん、君の兄が早く見つかることを祈っている」
 そのまま、振り返らずに歩を進めた。
願いを追うこと、叶えること。願って、焦がれて、いつか手放すもの。強い強い渇望を抱かなければ神の資格がないということは、何とも当たり前のようで、恐ろしいことでもあるようだな、と思って書いた話になります。

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